2011年6月29日水曜日

28 June 2011 小学校トイレ建設ー広島県OB会の支援を受けてー

エベシ小学校にトイレを建設しよう!
何ヶ月かかけてアプローチをかけてきたこの企画が遂に実行に乗り出した。

広島県青年海外協力隊OB会(HOCA)の「HOCAほかプロジェクト」に資金援助を申請させてもらったのは、今年4月のこと。(ちなみに、私は本籍が広島です。)
日本の担当の方との数回のやりとりを経て、先月、支援が決定したという連絡をいただいた。
心待ちにしていたこの知らせが届いた時は、本当に嬉しかった。
広島県OB会の幹部の皆様には、当案件に賛同をいただき支援を決定してくださったことに心から感謝します。

トイレ建設は、エベシ小学校の長年の悲願と言っても過言ではない。
エベシ小学校の校長は、昨年10月に地域学校保健委員会の委員になって以来、児童、教師、住民の衛生教育や校内の衛生環境整備に積極的に取り組んできた。
けれども、この学校にはトイレ施設がない。
校長が3年前から地域の保健センターに建設要請を出しているけど、保健センター、学校ともに財源が確保できないために未だ実現に至っていない。

だから、子供たちは草原や繫みで用をたしていて、これが校内衛生環境上の問題となっている。
校庭で大量発生したハエは、食べ物や色んなところに留まってバイ菌を媒介する。
さらに、トイレがないと学校側も児童に対して正しい衛生習慣形成のための指導ができない。
こういう衛生面の問題のほかに、繫みに潜む危険も大きな問題。
用を足しに繫みに入った子供が木の枝や突起物で怪我をすることがあって、運悪く傷が膿んでしまったりすると医療サービスに問題を抱える地方では大事に至ってしまう。
そうなると、ただの擦り傷ではすまない。
繫みには毒ヘビも潜んでいる。
ベナンには猛毒を持つヘビが多くいて、種類によっては2~3時間以内に人を死に至らしめる。

(上)いつかプロジェクトが決まったらと、あてもなくとりあえず住民によって掘られたトイレ建築用の穴。

そんな状況を改善しようと申請したのが『青年海外協力隊広島県OB会HOCAほかプロジェクト』だった。
このプロジェクトは、派遣中の広島県出身青年海外協力隊員に対して、現地での活動を支援してくれる事業。
活動の中の隊員の「少しの支援があれば、こんなことができるのに」という思いや「現地の人々と一緒に感じながら、自分のメッセージを伝えたい」という願いをカタチにする、小さいけれど心温まる支援活動を目指すという趣旨。(HOCAほかプロジェクト募集要項より抜粋。)
資金援助の上限は、5万円。

5万円でトイレを建設するのは、貨幣価値の違いがあるにしても正直ギリギリだ。
だから、足りない部分(2万3千円分)はエベシ村民の寄付(砂とか石を集めてきたり、水を買ったり。)で補完することになった。
でも、こうして住民参加があったほうがトイレをずっと大切に使ってもらえて、逆に効果的かもしれない。
トイレの規模も、2つの個室という小さなものとなった。通常は4つということが多いけど。
それでも、この学校は全学年揃わない小さな学校だし、何よりトイレがないよりはずっと良い。

自分自身も実現をとても楽しみにしてきたこの企画。
だけど、申請に踏み切るときには実は一つの懸念があった。

学校保健分野で活動する青年海外協力隊員である自分が、建築物の資金援助を誘致するということ。
これは、いわゆる「箱物の援助」。
協力隊事業は、日本のODA事業の中の技術援助の一環で、無償資金協力とは違う。
つまり、私の役目は自分の知識や経験を活かして地元の人と一緒に働くことであって、お金を渡すことではない。
そのことを、現地の人が取り違えてしまったら?

学校保健隊員が来たら、トイレを建ててくれるぞ!
次はあれも頼もう、これも欲しい!
なんで、あの学校には建ててうちの学校には建ててくれないんだ!うちにも建ててくれ。
協力隊は建物を建ててくれるんだろう?現にエベシにはトイレを建てたじゃないか。

将来的に、JICAや協力隊員に対するそんな金銭的依存の気持ちを地元の人に与えてしまわないか・・?

さらに、JICA関係者からは、日本の団体から資金援助を受けることの責任の重さを指摘された。
日本の人々が、寄付という形で提供してくれたお金を預かるということの重み。
金額の大きさとか、そういうことじゃない。
途上国では、日本では想像もつかないようなトラブルが頻繁に起きる。
だからといって、約束した期限までに工事が完成しませんでした、すみませんでした、という訳にはいかない。
それでは、日本の人の納得は得られない。

付け加えるならば、一校のトイレ建築は学校保健の根本的な問題解決ではない。
そのことも、頭をよぎった。
トイレがない学校がグラズエ市内にこの一校のみなんてはずはない。
たった一つのトイレ建設で、問題が根本的に解決されるわけじゃない。

それでも、この企画自身に迷いはなかった。
色んな懸案は、結局はマイナー事項だと思った。
この援助を必要としている人がいるということに比べれば。
どうしてもトイレを建てたいと願っている人がいて、それを待っている多くの人々がいるということ。
広島県OB会の方々のおかげで、それを支援できる機会があるということ。
その事実ほど説得力のあるものはない。

必要な対策を前もって打てば、トラブルは回避できるはずだ。
エベシ小学校の校長の姿勢は今まで見てきた。
トイレ建設を担当してくれる衛生管理主任の性格もよく知っている。
この人たちは、一緒に企画を実現するのに信頼にたる人たちだ。
前もって協力隊の位置づけを説明して、この資金援助を前例にとって今後協力隊員にさらなる金銭援助を依頼することをしないという旨の公式的な書類のやりとりも行った。
現に「大使に頼んでくれ。」という言葉を、それ以来聞かない。
この人たちとなら、必ず企画を実現できる。

今日、3者会議の場で、OB会から口座に振り込んでいただいた資金が建築を担当してくれる主任に渡った。

あさっては、学校で住民を集めて話合いが行われる。

責任を持って、このトイレを完成させる。
完成報告を待ってくれている、広島県OB会の皆様のためにも!!

2011年6月24日金曜日

24 June 2011 やっぱ活動でしょ

今週は配属先の視学官事務所が、試験管理作業のために閉まってしまった。
校長も町から出払ってしまって、一週間ほど活動が実質とまった。

このちょっとしたブランクの期間に、任期終了後の準備として研究計画書を書いていた。
それは深い深い思考の奥に入らなければできないもので。
脳みそから煙が出そうな毎日だった。
楽しくもあるけど、テーマ決めや仮説立てという初期の段階は苦しみと不安の方が大きい。
時間的に、期限もあるし。
初期段階を超えた時には、スッと苦しみから「抜けた」という感じになるのだけど。
飛行機が厚い雲をくぐって青空の高層まで突き抜けた時みたいに。。
でも、それは簡単にはやってこない。

そんな風に家で一人、何日か頭から煙を出しているとなんだか社会性がなくなってしまった。
現在より将来を見ていて、変な感じ。。
私の心はお出かけ中、みたいな。

今日、3日ぶりに配属先に行ってみた。
やっぱり閉まっていた。
でも、保健センターの衛生管理主任の部屋が空いていたので挨拶に寄ってみた。
主任は笑顔で「4日ぶりだねぇ~!」(これは、こっちの言葉でちょっぴり久しぶりだねというような意味。)とすごく嬉しそうに迎えてくれた。
来週の会議の計画について話がまとまると、またご機嫌で「いつでも私たちは君を全力で支援するよ!!君の見方だよ!」と言ってメルシと繰り返す主任。
その後、今月日本に帰国してしまった看護師隊員の働いていた予防接種科にも挨拶に行った。
隊員に会いがてらよく訪れていたのでみんな知っている人ばかりで、やっぱりとても喜んでくれた。
来月から、学校は夏休み。その期間は、この予防接種科を活動先として組み込もうと思う。
啓発活動を一緒にやろうという話を持ちかけると2つ返事でOKで、上にも挨拶をして正式に許可をもらうことになった。

正直、すごく嬉しかった。
私の居場所は、この町にちゃんとあるんだなって改めて思ったから。
今まで築いてきた関係。
またここの人たちと仕事をできる楽しさを思い出した。
自分の活動を通して誰かが喜んでくれる。何かが改善される。
やってきたことの効果が現れる。それをまた、誰かと一緒に喜ぶ。

私にとって、ここでの生活で力や喜びをくれるのはいつも活動だ。
それはきっと草の根の仕事の楽しさ。
こんな風に仕事をできるのは協力隊だからだろうと思う。

開発協力には、上からのアプローチと下からのアプローチの両方が必要だとJICA理事長は言っている。
私はどちらかというと上からのアプローチに関わりたいと思いがち。
現地への影響力の強さや範囲を考えると、どうしてもそういう発想になってしまう。
だから上のポジションにいないことをはがゆく思ったりもする。

でも、こうして現地の人と一緒に、現場を見て改革案を打って、自分が実際にその実行に携わって効果の有無を直接見る。
そんな楽しみは、これからこの分野で働くとしても、きっと今しか得られないのだろう。
だったら、思いっきりそれを楽しんだらいいじゃないかって思う。
妥協を許さないくらい、やれる限りの仕事をここでしたいなって。
まだまだ、やれることがいっぱいあるから。

2011年6月16日木曜日

14 June 2011 進路

小学校が学期末試験期間に入って、少し仕事が落ち着いた。

試験期間中は学校を訪問してもみんな忙しくて活動にならないし、視学官事務所もその管理業務でてんてこまい。学校保健がらみの会議を開催する余裕も当然ない。

ちょうどいいから、5月は予定を詰め込んでいた分、ぶらりとコトヌーに行って、帰る隊次の人の報告会に出てみたり、協力隊後の進路を考えて、その準備に取り掛かったり。

最近、進路のことをリアルに考えだしたことで、あれこれ想像すると不安になることがある。
自分はどこまでやれるだろうって。

でも、ドミにある本にはこんなことが書いてあった。
「未来を心配するのではなく、過去を後悔するのでもなく、できることは現在に念を込めて生きることだけ。」

そうかもしれないな、と思った。
未来を楽しみにしすぎるのではなく、過去の思い出に浸るのでもなく、今を充実させる過ごし方をすること。
今できる努力をすること。
今やれることを精一杯楽しみながらやっていくこと。
それって、そういう意味でもある気がする。

協力隊としてアフリカにいる時間
=あと、9ヶ月。