2011年2月24日木曜日

17 feb. 2011 最終報告会etc@ダンボ・ポルトノボ


総会が終わって、ダンボという東の町で帰国間近の隊員の最終報告に参加させてもらった。

同じ学校保健にとりくむ隊員の報告会だったので学ぶことも多かった。
現地の学校2校を見せてもらい、いくつかアイディアも得た。
一つをあげると、学校菜園を作って収入源にするということ。
衛生環境を整えるための道具(たとえば手洗いのためのバケツ、洗面器や石鹸)を買うお金がないという学校でこれを試してみたらどうか。
種だけ初期投資で配給して、その後校庭のスペースを使って野菜を育てる。
特に私の任地は、流通が悪く野菜があまり手に入らないので確実な収入源となるはずだ。
ベナンで何かをしようとするとき、必ず問題になるのが予算だ。
この問題の解決の糸口となればと思う。


ダンボ訪問の後は、首都のポルトノボに滞在させてもらった。

ポルトノボはさすが首都だけあって、おいしいものもあるし、人も小奇麗で教養のある人が多いように思った。
ここでも帰国間近の隊員と一緒にいさせてもらって、最後の挨拶周りにも少しつき合わさせてもらったりした。
いつも他の隊員から学ぶことは多い。
特に現地の人との接し方だ。
ポルトノボの隊員は、現地の人とうまく交わっている気がした。
男の子の隊員のいる任地ということもあるかもしれないが、ベナン人の友達が多くいるようだ。
お店のおばちゃんや同じくらいの年齢の男の子。楽しく話しているのを見るのをこっちも笑顔になる。
周りのベナン人がみんないい人ばかりに見えた。
でも、それは彼らが2年かけて築き上げてきた関係なんだと思う。
最初は職場で隊員にイジワルばかりしてきたベナン人のおばちゃん職員が、今では一番の見方になったという様子も目の当たりにした。
これも、彼の人とかかわる姿勢が少しずつ状況を変えて、最終的に表れた結果なんだと思う。
こんな仲間の隊員の人との接し方を素敵だと思う。

自分に残された任期はあと1年。
自分も彼らのようにベナンを離れることを惜しみながら、1年後にこの国を去れたらと思う。

それにしても仲間の隊員が帰国することが寂しくて、よく泣いた期間だった。
協力隊はいつも出会いと別れの繰り返し・・。

写真:ポルトノボで。

16 feb. 2011 隊員総会



歯の治療のための一時帰国後、ベナンに戻ってからすぐに分科会&隊員総会があった。

隊員総会はベナンの協力隊員が全員集まって隊員全体の関連事項について話合をもつというもの。
総会は2日間。
ベナンの場合は年に2回あって、各地の隊員がJICA事務所のあるコトヌーにあがってくる。
ベナン隊員は総勢60人くらい(正確な数字は忘れた・・)
久しぶりに色んな任地の隊員にも会えるという意味では、楽しい期間でもある。
任地同士や隊次同士でおそろいのベナン服を作って着てくるという慣習もなんとなくあって、それを見るのも楽しい。

総会にくっつけて、ちょうど一年違いの隊次の隊員たちを送る送別会が開催された。

私もベナンに赴任してから早いものでほぼ1年が経つ。
どんどん新しい隊次が入ってきて先輩隊次が抜けていくのを見ていると、なんだか世代交代を感じる。
今回の総会を最後に帰国する隊次は関わりも深かったので、もういなくなってしまうのかと想像するとその寂しさはすごく大きい。
帰っていく先輩隊次からもらったものは、たくさんあった。
本当にありがとうと言いたい。
そして、私もあと1年の任期を終えたらまた会えると信じて「さようなら」じゃなく「またね」と言いたい。

写真:総会&送別会で。

2011年1月1日土曜日

29 dec 2010 また都市間移動!



任地に戻ってまだ二日なのに・・。
教育省のある首都のポルトノボに行くことになった。

今日任地を出て、アボメイという教育省の県事務所がある都市に寄り、一端コトヌーへ。
翌日ポルトノボに日帰りで行って教育省を訪れ、コトヌーに戻る。
そうするとその日は任地に帰ることができず、次の日は大みそかで交通量が増えて危険ということでJICAから移動禁止令が出ているので都市間移動はムリ。
元旦も移動禁止なので、またコトヌー滞在。
あ~。コトヌーはいいなと思っていたけど、やっぱり任地に戻ってみると落ち着くし自分の居場所があるのでまたコトヌーはちょっと面倒というのが本音。
でも、用事があるので仕方ない。

そういうわけで今朝。
アボメイへ行こうと乗合タクシーに乗ろうとしていた時。

タクシーの客寄せをしている男が、ボイコン(実質アボメイと同じ場所)行きだよ!と言うのでとりあえず車に鞄を積んでもらった。
とりあえずというのは、乗合タクシーは普通のセダンなら客が7人揃わないと出発しないからだ。
(運転手+助手席に3人、後部座席に4人。太ったおばちゃんが乗ってしまうと下半身の血が止まりそうになるほどギュウギュウ!)
鞄をこうして預けても、ベナンでは盗んだりされることはない。

今朝はなかなか客が集まらず、30分以上が経過。
県事務所に午前中に行かないとまずいのに、とちょっと焦り始める。
すると隣にバンがやってきて、もう客が揃ったので出発できるから乗れと言う。
これはよくあるパターンで、こういう場合は積んでいた鞄を下してもらって乗り換える。
普通は、まあ渋るけど下してくれる。

「急いでるし、あの車がもう出るっていうからあっちのに乗る。鞄返して。」
と頼むと、案の定、運転手は「待って!きっともうすぐ客が揃うから!」と渋った。
「いや、急いでるから。あと何人待ってるの?4人?それじゃまだまだだから、あっちに乗る。」
再度言うと、今度は運転手の隣にいた客寄せの男が、待てという。
こんなに鞄を返してくれないことは珍しいが、まあ頼めば返してくれるはずなので私も繰り返す。
「S'il vous plaît!(お願い!)」
それなのにこの男、ヘラヘラヘラヘラして車のトランクの上に座ってどかない。
「Il faut attendre.(待て。)」の一点ばり。
男がトランクの上に座っているせいで鞄を強行で取り出すこともできない。
「私の鞄返してよ。あなた泥棒じゃないでしょ?」と私が言うと、
この男はまたヘラヘラしながら、「俺、泥棒だよ。」という。
完全にヨボ(白人)の女をからかって楽しんでる。
この態度にはさすがにカチンと来た。

「泥棒ー!!泥棒ーー!!!」
「あいつ、あたしの鞄、盗んだーー!!」

大声で突然叫んでやった。
タクシーに乗ろうとしていた客や物売りのおばちゃんたちが一斉にみんなこっちを見る。
男は慌ててトランクを開け、鞄を返した。
周りの人に何か言われる前に返そう、という魂胆だろう。
一件落着。

ベナンには地域社会というものが明らかに存在して、いつも人々はその中で関わり合いを持ちながら生活している。
知らない人に対してもおかしいことは正そうとするし、もめごとがあれば仲介に入ってきてくれる。
大抵の場合そういうことをしてくれるのは居合わせた地位のある男の人が多い。学校の校長とか地域の権力者、お金持ちとか。
日本で(特に都会で)なら周りは知らんぷり、我関せず・・となりそうなところも、この地域社会では違う。
わずらわしさもあるだろうが、常に第三者の目がどこかにあるというのは安心感でもあると思う。

*写真:乗合タクシーのお客が集まるのを待っているところ。
   :グラズエーアボメイ間の高速道路

2010年12月31日金曜日

28 dec 2010 怒れる教師



今日は、職場の視学官事務所が騒然となった。

大きな声で怒鳴り散らし、視学官事務所の職員に文句を言いまわる訪問者。
若い男性の、小学校教師だ。

理由は小さなこと(ベナンの日常の中では)。
交通費を出してわざわざ視学官事務所まで来たのに、視学官が不在だとか。
必要な書類をなかなか職員が出さないとか。
別にこの人、長い時間待たされていないのに。
ちょっと待ってくださいと職員が下手に出ても、怒鳴る、怒る。

この教師、まるで忍耐力がない。自己をコントロールできていない感じ。
怒るにしても常軌を逸している。

その場に居合わせた他校の校長が、
「あんた、教師か?年長者に対してこんな態度をとるのか?」
と職員をかばうほど。

ベナンでは年長者に敬意を払う文化があり、また視学官事務所の職員はある程度の地位がある。
ここの社会にはここの社会の常識やルールがある。
それにも反しているということだろう。

この人が教師かぁ・・・と思うとちょっと怖い気がした。
教師の質。
ベナンの教育について話すとき、よく聞く問題の一つ。

数年前の政策による小学校の無料化と義務化によって、ベナンは教師不足だ。
急に小学校に通う児童が増えたので、あわてて教師候補を探して採用しなければならない。

この国では教師になるのに、特に資格はいらない。
教師候補にはある程度の教育を受けた人ならなることができ、候補者は地域レベルで少しの研修を受けると採用となる様子。
そのせいか実際「この人どうなの?」と思うような教師に出会うことも多い。(あくまでも個人的な感想です。)

すべての子供を学校に!というベナン政府の政策は、ミレニアム開発目標の観点からも一定の評価を得ているらしい。しかし、同時に教育の質に関して、一部からは懸念もされている。

今日はこの怒れる教師の登場でそんなベナンの現状を思い出した。
子どもたち、この人の下で大丈夫・・?


*写真:一時、騒然となった職場。

27 dec 2010 庭の野菜






自分の任地での楽しみのひとつ。

それは庭で野菜を育てること!


前にも書いたけど、うちの任地には野菜が3種類しか売っていない。
他には、見たこともない地元の謎の草が売っているけど調理方法がわからない。
そのひとつはモロヘイヤであるとの噂もある。でも、どの草がそれだか知る術がない。

なので、任地に配属になってすぐに庭の隙間を活用して自家菜園を作った。

今までにもレタスやブロッコリー、ネギ、サラダ豆が成功!
それらの野菜の収穫時期が終わったので、今回は仲間の隊員が一時帰国の際に買ってきてくれた日本の野菜の種をまいてみた。
白菜、春菊、二十日大根、チンゲン菜、小松菜。
植えかえによってベナンのあまりの日光や熱の強さに半分の株は枯れたけど、生き残りは留守にしていた間に立派に育ってくれた。
既に収穫できるようになっている。(ガルディアン、ありがとー!)

今日は、水炊きにしようと大根をひっこ抜き、葉っぱたちをチョキチョキ切った。

おー、豊作だ!!

庭に種をまくとき、新芽を見つけた瞬間、そして育った野菜を収穫して食べるとき、とても幸せを感じる。
野菜が買えない地域だからこそ、庭になった野菜がめちゃくちゃ貴重でありがたい。
そして、自分で食物を育ててそれを食べて、食生活を豊かにしたり栄養補給をすることは意味深い。
趣味というより、もはや自給自足の生きる糧。

今日のお昼は、すき焼き丼(豚肉だけど!)、夜は水炊き!

特に感動したのは、春菊!!
なんて素敵な香り!!これだけで日本で鍋をした日が鮮やかに蘇る!
おいしい~


*写真:おうちの庭の隙間に生える野菜たち。
   :白菜。なぜか丸まらず自由奔放に外へ伸びる。でも味はちゃんと白菜。奥の葉は豆。
   :とれた野菜たち。チンゲン菜・春菊・二十日大根・白菜。

27 dec 2010 職場復帰



楽しい!うれしい!

仕事ができるっていいな!!

今はそんな気持ちでいっぱい。


復帰一日目の朝。やっぱりちょっとドキドキしながら職場に向かった。

事務所に入った途端、同僚が私を見て歓迎のハグをくれた。

「体はもう大丈夫!?心配してたよ!」

って、本当に嬉しそうに私の復帰を喜んでくれている。
私が戻ってきたことに感動してくれているその様子は、何年かぶりに会った友達とかそんな感じ。

前から、いつも親切にしてくれていた職員の人たち。

それでも、一か月も突然職場から消えてしまって、みんなどう思ってるんだろう?って少し不安に思っていた。

その分、今朝はとても安心したし、地元の人の優しさや温かさをたくさん感じた。

体ももうほぼ完全に回復したし、今日は涼しいので職場で過ごす時間も体力的にそんなにしんどくない。

やっていた活動をちょっとずつ思い出しながら、また始動させていきたい。

エンジン全開。


*写真:職場の同僚の一人。快く報告書のフランス語を直してくれたりする。

26 dec 2010 任地に帰還
















約一か月ぶりに任地のグラズエへ戻ってきた!

もといた場所のはずなのに、バスが任地に近づくとなんだかドキドキ・・


家にたどりつくと二人のガルディアンが門の外にいて、私を見るなり「おかえりなさい!!おかえりなさい~!!」と、とても嬉しそうに出迎えてくれた。

あ~、やっぱりお家っていいなぁ。

もう一つ嬉しかったのは、2人のうち一人がレオナだったこと。
この前うちの二人のガルディアンともめたせいで、レオナはうちにあまり来なくなるんじゃないかなと思ってちょっと心配していたけど、前と変わらずこうして訪れてくれている様子。
そしてもう一人は、私がマラリアでコトヌーに発つ時にタクシーを呼んで見送ってくれた方のルシアンというガルディアン。

「留守中にちゃんと警備しててくれてありがとね」とコトヌーで買ったおみやげの特大のパンをあげると、二人はとても喜んでくれた。
普段は、他の都市に行っても毎回おみやげをあげるということはしない。
毎回だとこっちの人は期待して「今回はないの?」とか言い始める傾向があるため・・。
でも、今回はコトヌーでの療養で家を長く空けたし、色々よくしてくれたからお礼をしたいと思った。
特にルシアンは、何度もメールや電話をくれて体調を気遣ってくれたり家の様子を知らせてくれた。
良くなるように毎日神様に祈ってます、と私がマラリアでまだつらいときにくれたメールには本当にじーんときた。


コトヌーで買った食材をとにかく早く冷やそうとキッチンにまず入ると、何か様子がおかしい。

室内が全体的に茶色い。
床、キッチンの台、まな板、貯水バケツ、全部が砂まみれ。

これはもしや・・

「もしかしてハルマッタン来た?」私が聞くと、「はい、何回も!!」とガルディアン。

ハルマッタンというのは(よくわからないけどたぶん)砂漠の方からくる砂嵐のようなもので、ベナンの北の地域が毎年この季節に襲来を受ける。
町中が砂まみれになるらしく、去年は同任地の隊員が喉がおかしくなったと言っていた。
目も砂で痛くなるとか。←コンタクト泣かせ!

通気性が悪くなるとかび臭くなるので、窓のブラインドを少し開けたままにしておいたせいで家中が砂まみれだ。
床はもちろん、ベッド、ソファー、テーブル、なにかもがうっすら茶色い!
ちょっと動くと砂埃が散る。

居る場所がない・・。病み上がりに長旅で疲れたけど横になる場所もない・・

ガルディアンが「中、掃除しますね!!」とがんばってくれたけど、それでも時間はかかる。
自分もあちこち拭いたりして労働をよぎなくされる・・

やっぱこの国は体力勝負ね、とまたまた実感。

さすがにヘトヘトなので、シーツを変えるのはこの日はあきらめ砂まみれの上に布をしいて寝た。
砂埃が舞い、くしゃみが出た。

でも、やっぱり家って良いもの。

落ち着く。

8か月暮らしてきた場所だものね。

壁に色を塗ったり、家具を少しずつオーダーしたりして作り上げた自分の空間。


*写真:我が任地グラズエ。週一に開かれる市場の日に撮ったから、人や車がいっぱい!
   :うちの家。テーブルクロスはルシアンの奥さんが編んでくれた。ソファーはベナン布のカバーで、こうして見ると結構派手ね。