今日、道端で事故があった。
職場の目の前だった。
2台のバイクが衝突。
2人のベナン人が怪我を負った。
道に出てみると一人は道路に倒れたまま動かない。重傷の様子。
その怪我人は衝突時にバイクから放り出され、高いところまで跳ねあがって空中から地面に叩きつけられたということだ。
背面から落ち、頭と背中を打ちつけたらしい。
周りに人だかりができていて、人々は一生懸命、布きれで倒れたけが人を仰いでいる。
処置をする者はいない。
近くの保健センターに電話をしてみた。
誰か処置できる人を送ってくれないか?
保健センターは歩いて10分以内のところにある。
センターには看護師や医師がいる。
とりあえず保健センターに連れてこないと処置できない。
道端で処置をすることはできない、との返事。
保健センターにいつも止めてある救急車は?
出してくれないのか?
救急車は出せない。
運転手がいないから。
それに近いから出せない。
あれは隣町の病院に病人を搬送するためのものだから、とのこと。
代わりに隣町の救急車を呼ぼうと電話する村の人たち。
救急車は来られない。
理由はわからないけど。
けが人が道路で倒れたまま、どんどん時間が過ぎて行った。
誰かが車に乗せて10分先のセンターに搬送すれば医師に見てもらえる。
職場には何台か車があった。
自分の上司の車もあった。
「誰かがこの人を運ぶ必要があります。救急車は来ません。」
職場の人に言ってみたが、誰かがその人を車に乗せることはなかった。
周りの人は「彼の子供に連絡だ」「連絡先がわからないぞ」
と話している。
怪我人は血を流しているわけでもないし、保健センターは10分先。
でも、車に乗せようとする人はいない。
どうすることもできない。
地元の人たちもそう思っている様子だったが、外国人の私には余計にどうすることもできない気がした。
ここにはここのルールがあるような妙な気もして、それ以上何もできなかった。
これが私たちの国なのよ、というようなことを同僚が言った。
どうして、なんで、と私の頭の中で色んな疑問が浮かびっぱなしになった。
日本人から見れば、あれは医療体制の不完備そのもの、そして非効率的な人々の謎の行動。
その人が亡くなったことを数時間後に上司から聞かされた。
ひたすら無力感を感じ、疑問を感じた日だった。
自分の行動を、人道的にこれでいいのか、ともちょっと疑った。
そして、自分も同じように事故にあえば、助けは来ないんだと思った。
(きっと何時間もかけて、離れた場所からJICAの関係者が助けには来るだろうが。)
大けがをしたら、ここではすぐに死んでしまうような気がリアルにした。
自分の身は自分で守らなければいけないんだと思った。
この国の人たちも、そして同じようにこの国に住む自分も。
2010年11月17日水曜日
7 oct 大河の一滴?
自分の活動を通して劇的で広範囲にわたる地域の問題改善を与えるか?
といわれれば、正直難しいだろうと思う。
理由は多々ある。
2年という任期や、地元の行政組織や人材不足、資金不足の問題に直面するたびに限界を感じる。
それでも、2年後に例え一校でも児童が頻繁な腹痛や嘔吐が少なくなったという学校があったら。
一人でも、学校保健の重要性を今より意識するようになったという校長がいたら嬉しい。
小さなインパクトかもしれないけど、社会の何かを変えるということはとてもとても難しいことだから。
一つでもこの地域の何かが、自分の活動で改善されたら私は2年後に自分の活動に意味を見いだせると思う。
この地域での私の役割や存在なんて、長く続いてきたここの歴史や社会の中で大河の一滴にすぎない。
もちろん、自分の任務を最大限、効率的に果たそうとは思う。
でも、森(最大限のインパクト)を見過ぎて木(一人の変化)を見ないようなのもまた違うのかなと思ったりする。
28 sept ちょっといい日
現地の人ともっと交わろう!
最近すごく思うこと。
ここ8月9月は学校が長期休暇で、仕事で校長先生たちと個別に話す機会もあまりなかった。
何かとJICAの行事や他の隊員との交流で任地を離れることが多くてリフレッシュはすごくできたけど、どこか焦りが。
仕事は停滞しているし、なんとなく時間をすごしてしまったような気がするし、フラ語も伸び悩み。
もう来て6か月だぞっ!!
そんな時、任地に帰ると、ちょうど仲の良い校長から日曜にちっちゃいお祭りがあるからおいでとの誘いの電話が。
ベナン人のフレンドリーさにはほんとに感謝してしまう。
このお祭りは、新学期が始まる前の顔合わせのようなものらしい。
日曜の3時に校長の学校に行ってみると、校長はにこにこ顔で私を村に連れて行き、小さな建物に招待してくれた。
そこに副市長とか他にも結構えらい人たちが現れ、ビールを片手に一緒にイニャムピレ(ヤム芋を餅のように練った主食)を食べる。
日本人というだけで、私みたいな若造が村の偉い人たちと普通に同じ席に座らせてもらえる。
ここベナンでは割と普通にあることだけど、改めてビップ待遇にちょっとびっくり。
嬉しいような、自分の立場を不思議に思うような気分。
お昼の3時過ぎから食べ始めるイニャムピレはお昼ご飯なのかなんなのかよくわからないけど、ベナンの村の「お祭り」はみんなでこれを食べる(だけ!)というのが主流なようす。
たまたまお昼をあまり食べてこなくてよかった!!
けれども、これで終わりかと思ったら、校長はサッカーがこれからあると言い、サッカー場(と言ってもゴールの置いてある草っぱら)へ向かう。
そこには思ったよりたくさんの村人が観戦に来ていて、マイクやスピーカーも用意されていた。
解説の人が活気あふれる進行を行い、選手たちはちゃんとおそろいのユニフォームを着ている。
私は副市長や隣の群のトップが座るビップ席の椅子に座らせられ、招待客の立場で観戦することに。
子供たちも、この地位のある人たちも、みんなフレンドリーでいい感じだ。
草っぱらなので、ものすごくたくさん虫がいて、私も含めみんなでかゆいかゆいといっているのがなんだか観戦側の連帯感で、かゆいのは本当に困ったけど、なんだか楽しかった。
途中で雨が降ってきた。
すると、こっちに雨宿りにおいで!と誘ってくれたり、ハンカチで私の体を拭いてくれたり、村の人の優しさや温かさが小さい行動から伝わってきた。
そんな中、思ったこと。
「ベナン人」とひとくくりにして、一人ひとりと本気で交わろうとも理解しようとも十分にしないまま、理解不能と言ってみたり。
一つの行動や習慣だけをとりあげて、怒ってみたり。
現地の人から受け入れられなかったり、白人白人と呼ばれることで傷つきたくなくて、はねつける。
自分を守ろうとして、壁をつくる。
自分のいままでの態度はきっとそんな風だった。
改めて感じる、自分の小ささ。
帰り道。
夜空には数えきれないくらいの星。
まるでプラネタリウム。
こんなに星って地球から見えるんだなーって思うくらい。
なんだか宝物を見つけたような気持だった。
29 sept 2010 私をヨボと呼ばないで
ベナン人は好きか?
ベナンは好きか?
というのは、きっと単純明快で簡単な質問。
でも、これほど応えるのが難しい質問はない。
ベナン人にもたくさんの人がいるからひとくくりにするのがまず無理だしね。
でも、ベナンという国に6か月住んでみて、決してここでの暮らしは楽ではないって感じる。
その理由の一つは、ベナンの人々の物の捉え方が自分とは大きく違っていること。
特に、肌の色に対する感覚。
ベナン人の多くは私を「こんばんは、白人」とためらいなくに呼ぶ。
ちなみに、黄色人種という概念はないので日本人は白人。現地語では「ヨボ」という言葉。
この前ペンキ塗りを頼んだら、請求書の顧客名は「Ma branche」(フランス語で「私の白人」)
仲間の隊員が小学校に授業をしに行った時。
現地の先生は子供たちにこう言った。
「今日は、みんな、白人と一緒にお勉強しましょう!」
私はこう呼ばれることに6か月ここで暮らした今も抵抗を覚える。
あなたと私は白人と黒人。全然違うのよ、と言われているようで。
いつもいつも肌の色が違うことを、この社会の中で異質なものであることを、強調されているようで。
壁を感じる。
ベナンは好きか?
というのは、きっと単純明快で簡単な質問。
でも、これほど応えるのが難しい質問はない。
ベナン人にもたくさんの人がいるからひとくくりにするのがまず無理だしね。
でも、ベナンという国に6か月住んでみて、決してここでの暮らしは楽ではないって感じる。
その理由の一つは、ベナンの人々の物の捉え方が自分とは大きく違っていること。
特に、肌の色に対する感覚。
ベナン人の多くは私を「こんばんは、白人」とためらいなくに呼ぶ。
ちなみに、黄色人種という概念はないので日本人は白人。現地語では「ヨボ」という言葉。
この前ペンキ塗りを頼んだら、請求書の顧客名は「Ma branche」(フランス語で「私の白人」)
仲間の隊員が小学校に授業をしに行った時。
現地の先生は子供たちにこう言った。
「今日は、みんな、白人と一緒にお勉強しましょう!」
私はこう呼ばれることに6か月ここで暮らした今も抵抗を覚える。
あなたと私は白人と黒人。全然違うのよ、と言われているようで。
いつもいつも肌の色が違うことを、この社会の中で異質なものであることを、強調されているようで。
壁を感じる。
28 sept 2010 体力がなーい
体力。
今一番欲しいもの。
ベナンで、現地の人なみに動けるからだが欲しい。
この国では、とにかく眠くなる。だるくなる。
今は雨季で比較的涼しいのにもかかわらず、朝から出勤して昼自宅に戻るとちゃっかり睡魔が。
眠りにおちると、そのまま長時間寝続けてしまうこともある。
一日フルで働くと、夜ごはんをつくるのもだるいくらい体が重い。
あれこれ仕事の計画はあって、モチベーションは高いのに、体がついてこない。
でも気力で押し切って、大病をするのもばかばかしいので何とも言えない。
今まで大きな病気なしに来ているのも、体調管理を優先しているからかとも思う。
けれども、そんなことも言いわけに思える時はつらい。
正直、ベナンのこの田舎での暮らしは、健やかに生活するのすら結構精一杯。
足りない栄養、いつまでたっても慣れない気候、乏しい娯楽。
でも、ただ一生懸命生活するためにここにきたわけじゃない。
ただ健やかに暮らすだけなら、なんの2年間かわからない。
私が日本で楽に生活しようと、ここアフリカでサバイバル生活しようと、そんなこと周りの人には何の関係もないこと。
一協力隊員という立場で、どでかい仕事ができるとは思っていない。
それでも、自分の任務に意味を見出したいと願っている。
自分も成長したいと願っている。
違う環境で生活できるとかいうベーシックなスキルだけではなくて、仕事でより高い成果を出す能力をもっと磨きたい。
焦っても仕方がないから、建設的に考えて。
モチベーションを体現する方法。
生産性を上げるにはどうしたらいいか。どう効率を上げるか。
今一番欲しいもの。
ベナンで、現地の人なみに動けるからだが欲しい。
この国では、とにかく眠くなる。だるくなる。
今は雨季で比較的涼しいのにもかかわらず、朝から出勤して昼自宅に戻るとちゃっかり睡魔が。
眠りにおちると、そのまま長時間寝続けてしまうこともある。
一日フルで働くと、夜ごはんをつくるのもだるいくらい体が重い。
あれこれ仕事の計画はあって、モチベーションは高いのに、体がついてこない。
でも気力で押し切って、大病をするのもばかばかしいので何とも言えない。
今まで大きな病気なしに来ているのも、体調管理を優先しているからかとも思う。
けれども、そんなことも言いわけに思える時はつらい。
正直、ベナンのこの田舎での暮らしは、健やかに生活するのすら結構精一杯。
足りない栄養、いつまでたっても慣れない気候、乏しい娯楽。
でも、ただ一生懸命生活するためにここにきたわけじゃない。
ただ健やかに暮らすだけなら、なんの2年間かわからない。
私が日本で楽に生活しようと、ここアフリカでサバイバル生活しようと、そんなこと周りの人には何の関係もないこと。
一協力隊員という立場で、どでかい仕事ができるとは思っていない。
それでも、自分の任務に意味を見出したいと願っている。
自分も成長したいと願っている。
違う環境で生活できるとかいうベーシックなスキルだけではなくて、仕事でより高い成果を出す能力をもっと磨きたい。
焦っても仕方がないから、建設的に考えて。
モチベーションを体現する方法。
生産性を上げるにはどうしたらいいか。どう効率を上げるか。
28 sept 2010 コーラ
ベナンの習慣。
出された飲み物は飲み干す。
それが礼儀。
飲み干さないと席を立ったり、宴会を終えることは基本的にはできない。
どこかで聞いたことが?
日本でたまにある、つがれたお酒は飲み干せ!という習慣に似ている?
ベナンでは必ずしもお酒を飲み干すという意味ではない。
ちなみに食べ物を残すのも問題ない。
この前の出来事。
一緒に席に座って、飲み物を頼み始めた校長。
この国では、誘った人がおごる習慣。だからこの日は校長のおごりだ。
何にする?と聞かれたので、コーラと答えた。
けれども、この答えは大失敗。
そのことに後から気づく。
なぜなら、田舎の村でコーラの小さい瓶は一般的ではないから。
そんな基本的なことを忘れていた自分を悔む。
コーラの700だかなんだか、どでかい瓶を一人で飲み干すのは容易ではなく、えらい目に。
でも、おごってくれた校長は、それ飲んだら出発しよう、といって、ゆっくりでもいいよと辛抱強く待っているし。
前にJICAの調整員もすごい量のコーラを飲み干すまで返してもらえず、死ぬ気で飲んだという話を聞いていた。
飲み干すのが礼儀。習慣。これはなんとしても重んじたい。重んじるのが筋だろう。
でも苦しいので、同席の校長の息子さんに、コーラのまない?と聞くとスプライトでお腹がいっぱいだと断られる。
飲むしかない。
炭酸水っていうのはこんなに飲みにくいものなんだなーと痛感。
胃がパンパンになったけど、なんとか飲み干して帰ったものの、もう気分が悪い。
我慢ができない。
そして、自宅のトイレでコーラを吐いた。
お酒を飲み過ぎて吐いたことはあるけど、炭酸水を飲み過ぎて吐いたことは初めて。
13 sept 2010 ガルディアン
ガルディアン。
ガードマンのことをフランス語でこう呼ぶ。
うちの家を警備しているガルディアンは二人。
日勤と夜勤を週交代で行っている。
うちの家は、亡くなった旧市長が立てた小さな家で、彼の建てようとした建設途中の豪邸の廃墟の裏にある。
廃墟の裏でしかも隣は空き地なので、安全上警備員を雇う必要がある。
最近は家族のように思うガルディアンのおじさんたち。
もちろん二人ともベナン人。
40代で、妻帯者、子沢山。
最初はガルディアンをどう扱っていいかわからず、ストレスも感じた。
私は彼らより若くて、フランス語もまだまだな外国人女性なので、なめられないように必死だった。
ありがとう、を頻繁に言って下手にならないようにわざとそっけなくしてみたり。
友達ではなく、雇用関係なんだとけじめをつけようと一生懸命だった。
でも最近は、ありがとう、と素直に言える。
もうそんなことをわざとしなくても、彼らはわかっているからだ。
私が何かを頼んだり尋ねたりしたとしても、笑顔で接したとしても、彼らは私を下に見たりひどく慢心したりはしない。
ある程度の信頼関係とも呼べるかもしれない。
首都の事務所に一週間滞在して戻ると、おかえりなさい!!と嬉しそうに出迎えてくれる。
「今日は帰ったかな、今日は帰ったかなと待っていたけど、なかなか帰ってこないから!タンティ(現地語でマダムという意味)がいないと私たちはハッピーじゃないですよ!」と。
私の怪我をしている指を見て、「指どうしたの?気をつけて!」と。
前にこんなこともあった。
庭に花があったらいいなあと言っていたら、知らないうちに庭に大きな葉っぱがにょっきり出現。
「これなに?」と聞くと、「花。」とガルディアン。
そんなガルディアンたちには、心からありがとう、と思う。
こんな風に私を喜ばせてくれても、さして報酬があがるわけでも、特別に何かがもらえるわけでもないのに。
今まで、どうしても続けてもらうことができず、やめてもらったガルディアンもいた。
信頼していたガルディアンとお手伝いさんが共謀して盗みを働いた、という他の日本人の話を聞いたこともある。
予想不能なことが多々起こるこの国で、手放しに人を信用するのは簡単なことではないかもしれない。
それでも、私はうちのガルディアンたちを家族のように思う。
何か、信じられる温かさを感じる。
彼らとも色々なことがあって迎えた6か月目。
そんな温かさを感じて幸せな気持ちになる今日この頃。
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