ベナンに来て、2年が経った。
そんなに長い時間が過ぎたのかな?
でも、2年前のことは随分遠くに感じる。
私はベナンに何かを残せたのかな?
自分は少しは成長したのかな?
答えはきっともっともっと時間が経ってからしかわからない。
でも、後悔していることは何もない。
最初は、大変だ大変だと思っていたベナンとこの国の人のことを一緒に過ごす中で好きになることができた。
家族のように心配したり行く末を応援してくれる人たちに出会えた。
それが私のここでの一番の財産だと思う。
とても幸せな2年間だった。
任地のグラズエを引き上げる前は、同僚やその他の地元の友人たちとお別れパーティを自宅でしたり、最終報告会を職場で行ったり。
とても忙しくて、残った仕事をこなしていくのにてんてこまい。
これで2年の任期が終わるんだという実感は最後までなかった。
最終報告会では、学校保健の仕事の集大成として行った衛生環境コンクールの授与式も行った。
校長先生たちは、誇らしげに順位の発表を聞いてお互いをたたえあっていた。
みんな、委員会を立ち上げてから1年半以上共に活動してきた人たちだ。
各々の学校での取り組みを強化することの意義や成果をどの先生も感じてくれているのがわかった。
そして2年前と比べて、自分たちの意識や学校は変わったと多くの先生がコメントをくれた。
会場にいるみんなの笑顔とありがとうという言葉、とてもとても温かい雰囲気。
そんな中でプレゼントを贈呈された。
職場の人一同と校長先生一同から。
ひとつずつ手渡される。
じわっと涙が溢れて、ぽろぽろ零れた。
ぶつかったり、乗り越えたり、見失ったり、また歩み寄ったり。
そんな中で少しずつ深まった絆。
ここを離れるのが本当にさびしいなと思った。
お別れパーティにも親しい人がたくさん集まってくれた。
警備員一同からもプレゼントが。
そして、1年半以上私のそばで警備するとともに時には相談相手になってくれたり、なによりいつも私の見方になって励まし続けてくれた警備員、ルシアンからのメッセージ。
「私たちはベナンでのあなたの家族だから、いつでも戻ってきてください。私たちが間違ったり失敗することがあっても、いつもあなたは忍耐強く許してくれた。だから今はまるで兄弟姉妹のようにいられる。日本に帰っても、ここで身に着けた気力と忍耐力を持ち続けていてください。これから離れ離れになっていても、あなたのことを神様にお祈りしていますから、あなたも私たちのために祈っていてください・・。」
彼らがいなかったら、どんなに任地での生活が心細かったことだろうと思う。
私が何かに不安になっている時には、いつも前向きな意見をくれて明るい気持ちを取り戻させてくれた。
日本に帰ってから私は大丈夫かな?とぼやくと、ここでとてもたくさん困難なことがあったじゃないですか!水がなかったり電気がなかったり、日本と全然違う環境の中であなたはやってきたんだから大丈夫!と励ましてくれたこともあった。
何度救われたかわからない。
これからきっと日本に帰れば、ベナンとは全く違う環境の中で、任地での生活をリアルに思い描くことすら難しくなるかもしれない。
それほど、何もかもといっていいほど日本とベナンの地方都市の生活は違う。
でも、ここに心が通じ合った仲間がいるということを忘れずにいたい。
そして、苦しい時には思い出そうと思う。
ここでの時間を。
ここに暮らす人たちの力強さを。
今でもまだベナンを発つという実感はない。
だから、気持ちも言葉もまとまらない。
でも、ありがとうの思いだけはここで関わった全ての人に届いてほしい。
そして、お互いのこれから続くそれぞれの未来が明るくありますように。
そう願いながらベナンを発とうと思う。
青年海外協力隊 in ベナン Apprendre au Benin
西アフリカのベナン共和国で送る、隊員生活☆ Where there is a will, there is a way.
2012年3月20日火曜日
2012年2月24日金曜日
09 February 2012 失うもの
任地に戻ってみると、昨日から停電、断水が続いているとのこと。
どちらも全く復旧しないまま3日目に突入した。
供給が切れた原因は不明。
地元の人たちもさすがに困っている。
町では井戸の周りに人だかり。
灯油タンクの入れ物に水を入れて運んでいるたくさんの子供の姿。
けれども、皆が一気に汲んだので3日目の昼には井戸は完全に涸れてしまった。
自分の家の貯水バケツの水が切れたら、井戸水を使おうと思っていたのでびっくり。
乾季、そして水事情に恵まれないこの地域の問題があらわに。
職場近くのカフェ(?)でコーヒーを飲んでいると、立ち寄る地元の人たちが口々に困った困ったと言っている。
「噂では一週間くらい戻らないらしいよ。」
「どーすんだー、俺たちみんな死んじゃうぞー!暑ッいしさぁ~!」
けれども、このベナン人男性の声の調子に悲壮感はない。
そして、彼はこう続ける。
「でも、俺は泣かない。笑うんだ。困難なときは笑うんだ。」
見るとこの男性は、足が不自由な様子で松葉杖を持っている。
後でカフェの店番のマダムから、彼は2年前のバイク事故で足を骨折したと聞いた。
直後は見ているほうも辛かったという。
でも、今はああして歩けるほど良くなったのよ、とマダムは笑う。
ベナンの人はいつも笑顔で大らかだよねと言うと、そうよ、しょんぼりしてても何も変わらないもの、とマダム。
家に帰って警備員にそんな話をしていると、彼も同感だと言う。
ベナンの人はこう考えるんですよ、と彼は続けた。
「お金をなくしても、何も失わない。健康を害しても、少ししか失わない。でも、気力をなくせば全てを失う。」
彼らの言うとおり、気力が尽きない限り、自分が自分である限り、本当に失ってしまうものなど何もないのかもしれない。
心にずしんと響いた。
どちらも全く復旧しないまま3日目に突入した。
供給が切れた原因は不明。
地元の人たちもさすがに困っている。
町では井戸の周りに人だかり。
灯油タンクの入れ物に水を入れて運んでいるたくさんの子供の姿。
けれども、皆が一気に汲んだので3日目の昼には井戸は完全に涸れてしまった。
自分の家の貯水バケツの水が切れたら、井戸水を使おうと思っていたのでびっくり。
乾季、そして水事情に恵まれないこの地域の問題があらわに。
職場近くのカフェ(?)でコーヒーを飲んでいると、立ち寄る地元の人たちが口々に困った困ったと言っている。
「噂では一週間くらい戻らないらしいよ。」
「どーすんだー、俺たちみんな死んじゃうぞー!暑ッいしさぁ~!」
けれども、このベナン人男性の声の調子に悲壮感はない。
そして、彼はこう続ける。
「でも、俺は泣かない。笑うんだ。困難なときは笑うんだ。」
見るとこの男性は、足が不自由な様子で松葉杖を持っている。
後でカフェの店番のマダムから、彼は2年前のバイク事故で足を骨折したと聞いた。
直後は見ているほうも辛かったという。
でも、今はああして歩けるほど良くなったのよ、とマダムは笑う。
ベナンの人はいつも笑顔で大らかだよねと言うと、そうよ、しょんぼりしてても何も変わらないもの、とマダム。
家に帰って警備員にそんな話をしていると、彼も同感だと言う。
ベナンの人はこう考えるんですよ、と彼は続けた。
「お金をなくしても、何も失わない。健康を害しても、少ししか失わない。でも、気力をなくせば全てを失う。」
彼らの言うとおり、気力が尽きない限り、自分が自分である限り、本当に失ってしまうものなど何もないのかもしれない。
心にずしんと響いた。
2012年2月14日火曜日
21-22 January 2012 パンジャリ国立公園旅行
ベナンにはなんだか観光資源が少ないような・・?
いえいえ、ありますよ!
ちゃんとサファリツアーのできる巨大な国立公園が!
それはベナンのほぼ最北に位置するパンジャリ国立公園。
隣国ブルキナファソとの国境もこの公園内にあります。
サファリパークといっても、それはそれは広大で動物を見られるかどうかは時の運。
なにしろ野生ですから・・。
聞くところによると、公園内には像やライオン、豹、カバなど多くの動物が生息しているらしい。
東アフリカではないので、キリンやシマウマはいない。
ケニアのサファリはサバンナっていうイメージだけど、ベナンのはちょっと違う様子。
朝5時半に近くの都市を出発。
8時頃公園入り口へ到着。
サファリの車に乗って、動物をひたすら探しました。
この時期、朝と夕方は寒い!!アフリカだけどダウンジャケットを着るほど。
動物園だと決まった場所に動物がいるけど、サファリの楽しみは探すことにあるなーと思う。
いたいた!!シカだ、サルだ!バッファローだ!みたいな。
特に感動したのは、野生のアフリカ像!
家族連れで、走ったり、何かとって食べたりしている。
こんな風に像って本来暮らしてるんだなーと、動物園とサーカスでしか像を見たことがなかったので新鮮だった。
泳いでいるカバも、とっても愛らしかった。
顔を半分だけ出して、スイスイ。
夕日もきれい。
夜ご飯と宿泊は、公園内のホテルで。
翌日。巨大な蟻塚にも触れてみた。
結局、見れますようにと祈り続けたライオンは見れなかったけど。
アフリカに来てよかったなーと公園内のドライブを満喫。
ちなみにライオンの足跡をガイドさんが発見してた。
まだ新しかったから、たぶん惜しかったかな。
ちょっとした息抜きに効果バツグンの任国内旅行。
仲間と自然を楽しめた時間は、とてもかけがえなかった。
いえいえ、ありますよ!
ちゃんとサファリツアーのできる巨大な国立公園が!
それはベナンのほぼ最北に位置するパンジャリ国立公園。
隣国ブルキナファソとの国境もこの公園内にあります。
サファリパークといっても、それはそれは広大で動物を見られるかどうかは時の運。
なにしろ野生ですから・・。
聞くところによると、公園内には像やライオン、豹、カバなど多くの動物が生息しているらしい。
東アフリカではないので、キリンやシマウマはいない。
ケニアのサファリはサバンナっていうイメージだけど、ベナンのはちょっと違う様子。
朝5時半に近くの都市を出発。
8時頃公園入り口へ到着。
サファリの車に乗って、動物をひたすら探しました。
この時期、朝と夕方は寒い!!アフリカだけどダウンジャケットを着るほど。
動物園だと決まった場所に動物がいるけど、サファリの楽しみは探すことにあるなーと思う。
いたいた!!シカだ、サルだ!バッファローだ!みたいな。
特に感動したのは、野生のアフリカ像!
家族連れで、走ったり、何かとって食べたりしている。
こんな風に像って本来暮らしてるんだなーと、動物園とサーカスでしか像を見たことがなかったので新鮮だった。
泳いでいるカバも、とっても愛らしかった。
顔を半分だけ出して、スイスイ。
夕日もきれい。
夜ご飯と宿泊は、公園内のホテルで。
翌日。巨大な蟻塚にも触れてみた。
結局、見れますようにと祈り続けたライオンは見れなかったけど。
アフリカに来てよかったなーと公園内のドライブを満喫。
ちなみにライオンの足跡をガイドさんが発見してた。
まだ新しかったから、たぶん惜しかったかな。
ちょっとした息抜きに効果バツグンの任国内旅行。
仲間と自然を楽しめた時間は、とてもかけがえなかった。
2012年1月29日日曜日
12 January 2012 HOCAほかプロジェクト-トイレ開き-
エベシ小学校のトイレが完成したのは昨年12月末のこと。
その後クリスマスやら新年やらでなかなか学校が開かず時が過ぎた。
せっかく建てたトイレも使えるようにしないと意味はない。
それも、正しく長く役立ててもらえるように。
トイレの管理方法、使用方法、トイレを使うことの大切さに関するこの学校での啓発。
それが、広島県協力隊OB会の皆様の支援をしっかりと活かすために私に残された最後の責任。
前回若干気がかりだったトイレの便座も、保健センター主任から問題なしとの回答だっとのでホッとした。
そこで、校長先生には村人を学校に呼んでもらって、先生、児童、村の人たちみんなに対する説明会を開催。
説明は、もちろん主任が担当。
専門家の説明ほど説得力のあるものはない。
村の人たちからも質問があったりして、みんなで管理方法などを確認していく。
良い説明会となった。
説明会が終わりに近づくと、校長先生は私をみんなの円の真ん中に座るように言う。
なんだろう?スピーチとかだったら苦手だなぁと思っていると、子供たちが歌を歌い始めた。
それはオリジナルの歌詞で、♪ミナありがとう~、ずっとあなたがしてくれたことは忘れないよ~、ありがとう~♪というような歌だった。
校長先生が自分で作詞し、子供たちに練習させていたそうだ。
そして、大きな手作りの表彰状のようなものを贈呈してくれた。
そこには、「あなたのお友達、エベシ小学校児童より。本当に感謝しています。ありがとう。」と書かれていた。
お金がないので、ティッシュなどを使って作ったお花や、切り抜き。
工夫がたくさんされていて、気持ちが伝わってくる。
じ~ん。
拍手の中で私はとても暖かい気持ちでいっぱいだった。
こうして晴れてトイレ開きとなった。
村の人たちも興味深そうにトイレの個室を覗き込んでいた。
みんなの感謝してくれている気持ちももちろんとても嬉しい。
でも私は、感謝してほしくてこのトイレを建てたわけじゃない。
これを活かしてみんなの生活が向上してほしい。
それが心からの願いだ。
追記:
トイレを完成させてみて、改めて、協力隊員として日本の団体から資金援助を受けて何かをするということには当然プラス面もマイナス面もあると感じる。
良かったことは、もちろん当初の目的だった校内衛生環境の改善や、それを基にしたこの学校での保健教育が実現されたこと。
そして、何より私自身学ぶところが多かったこと。例えば、日本の援助で建物を建てるときにどんな問題が発生しうるのかなどを考えるきっかけになった。また、ベナンでの生活に疲れた時に、完成したトイレを見たいからがんばろう、というモチベーションにつながった。
逆にマイナスの側面としては、ごく稀にではあるが、これを知った近くの他の学校の校長先生に今度はうちにしてよ、と言われたりしたこと。この一部の誤った期待が、後任の負担になったら申し訳ないなぁと思う。
けれども、この学校や村にとって、今回のトイレ建設のインパクトは大きかったと思う。
間違いなくたくさんの人の笑顔を見ることができたし、今後もきっと役に立っていってくれると信じている。
最後に、エベシ小学校の状況を理解した上で私の思いに賛同してくださり、資金援助という形で力を貸してくださったHOCAの皆様には心からお礼申し上げたい。
その後クリスマスやら新年やらでなかなか学校が開かず時が過ぎた。
せっかく建てたトイレも使えるようにしないと意味はない。
それも、正しく長く役立ててもらえるように。
トイレの管理方法、使用方法、トイレを使うことの大切さに関するこの学校での啓発。
それが、広島県協力隊OB会の皆様の支援をしっかりと活かすために私に残された最後の責任。
前回若干気がかりだったトイレの便座も、保健センター主任から問題なしとの回答だっとのでホッとした。
そこで、校長先生には村人を学校に呼んでもらって、先生、児童、村の人たちみんなに対する説明会を開催。
説明は、もちろん主任が担当。
専門家の説明ほど説得力のあるものはない。
村の人たちからも質問があったりして、みんなで管理方法などを確認していく。
良い説明会となった。
説明会が終わりに近づくと、校長先生は私をみんなの円の真ん中に座るように言う。
なんだろう?スピーチとかだったら苦手だなぁと思っていると、子供たちが歌を歌い始めた。
それはオリジナルの歌詞で、♪ミナありがとう~、ずっとあなたがしてくれたことは忘れないよ~、ありがとう~♪というような歌だった。
校長先生が自分で作詞し、子供たちに練習させていたそうだ。
そして、大きな手作りの表彰状のようなものを贈呈してくれた。
そこには、「あなたのお友達、エベシ小学校児童より。本当に感謝しています。ありがとう。」と書かれていた。
お金がないので、ティッシュなどを使って作ったお花や、切り抜き。
工夫がたくさんされていて、気持ちが伝わってくる。
じ~ん。
拍手の中で私はとても暖かい気持ちでいっぱいだった。
こうして晴れてトイレ開きとなった。
村の人たちも興味深そうにトイレの個室を覗き込んでいた。
みんなの感謝してくれている気持ちももちろんとても嬉しい。
でも私は、感謝してほしくてこのトイレを建てたわけじゃない。
これを活かしてみんなの生活が向上してほしい。
それが心からの願いだ。
追記:
トイレを完成させてみて、改めて、協力隊員として日本の団体から資金援助を受けて何かをするということには当然プラス面もマイナス面もあると感じる。
良かったことは、もちろん当初の目的だった校内衛生環境の改善や、それを基にしたこの学校での保健教育が実現されたこと。
そして、何より私自身学ぶところが多かったこと。例えば、日本の援助で建物を建てるときにどんな問題が発生しうるのかなどを考えるきっかけになった。また、ベナンでの生活に疲れた時に、完成したトイレを見たいからがんばろう、というモチベーションにつながった。
逆にマイナスの側面としては、ごく稀にではあるが、これを知った近くの他の学校の校長先生に今度はうちにしてよ、と言われたりしたこと。この一部の誤った期待が、後任の負担になったら申し訳ないなぁと思う。
けれども、この学校や村にとって、今回のトイレ建設のインパクトは大きかったと思う。
間違いなくたくさんの人の笑顔を見ることができたし、今後もきっと役に立っていってくれると信じている。
最後に、エベシ小学校の状況を理解した上で私の思いに賛同してくださり、資金援助という形で力を貸してくださったHOCAの皆様には心からお礼申し上げたい。
01 Jenuary 2012 元旦@グラズエ
元旦。
ベナンで過ごす最後のお正月。
そして、グラズエで過ごす初めての年越し。
初日の出。
ベナンの人たちは、元旦は朝早くから教会のミサに行く。
私も仲良しの校長と一緒に教会へ。
相変わらず現地語で内容はよくわからないけど、知り合いにたくさん会えて新年の言葉を交わせるのが楽しい。
↑やっぱり気になるがっちりガードされているキリスト様ご本尊。檻みたいに見える・・。
その後は、校長と一緒に近所の人たちや知り合いのおうちを何件か順に訪れる。
どこのおうちでもコーラなどの飲み物とご飯が出される。
何件も回るのでご飯は少しずつ頂く。でもコーラはどこでも一瓶飲み干さなければいけないのでお腹がいっぱい。
長居はせず、どんどん回っていく。
これがベナン流のお祝いらしい。
なるほどー。
こんな風にベナンでは新年を祝うんだな。
あと3ヶ月でベナンを去る。
彼らとも離れ離れの場所で暮らすことになる。
でも、みんなにとって幸多い年になるように祈っている。
ベナンで過ごす最後のお正月。
そして、グラズエで過ごす初めての年越し。
初日の出。
ベナンの人たちは、元旦は朝早くから教会のミサに行く。
私も仲良しの校長と一緒に教会へ。
相変わらず現地語で内容はよくわからないけど、知り合いにたくさん会えて新年の言葉を交わせるのが楽しい。
↑やっぱり気になるがっちりガードされているキリスト様ご本尊。檻みたいに見える・・。
その後は、校長と一緒に近所の人たちや知り合いのおうちを何件か順に訪れる。
どこのおうちでもコーラなどの飲み物とご飯が出される。
何件も回るのでご飯は少しずつ頂く。でもコーラはどこでも一瓶飲み干さなければいけないのでお腹がいっぱい。
長居はせず、どんどん回っていく。
これがベナン流のお祝いらしい。
なるほどー。
こんな風にベナンでは新年を祝うんだな。
あと3ヶ月でベナンを去る。
彼らとも離れ離れの場所で暮らすことになる。
でも、みんなにとって幸多い年になるように祈っている。
2012年1月17日火曜日
31 December 2011 大晦日
12月31日、大晦日。
私は任地のグラズエにいる。
ベナンは常夏なので季節感がなく、クリスマスも年越しも実感がない。
そして人々は12月30日まで出勤し、1月2日から始業する。
だから、私も昨日までは普通にためてしまった仕事を片付けるべく働いていて、年末なのかな~という感じだった。
けれども今日ばかりは、なんとなくあー年が変わるんだなぁという気がしている。
とても穏やかな気持ちだ。
そして、あー大変!年が明ける前に家の大掃除をしておかなくちゃ!とか遅ればせながら思っている。
2011年が往く。
日本では震災があり、個人的にも悲しい出来事のあった年。
けれども、たくさんの人の優しさを感じた年でもあった。
日本にいる人たちのことを思い出す。
遠くにいてもいつも見守ってくれている家族。
離れていても連絡一本で昔に戻れるような古い友人。
たくさんの人に支えられている。
学んだ年でもあった。
ベナンの人たちとは、色々な出来事を一緒に経験することでお互いを知ることができた。
彼らの素敵なところを発見できた。
日常の試行錯誤の中で、教えてもらったことがある。
笑顔にはほとんどの人が笑顔で返してくれるということ。
不機嫌そうな売り子のおばちゃんがパッと笑顔になったその顔を見ると、ああこの人はこんなかわいらしい人だったのかと思う。
心をこわばらせていたのは、自分の方だったと気づく。
そうして接するようになってから、彼らにたくさんの元気をもらうようになった。
ふさぎこんでいる時に、笑顔と冗談は心の雲を晴らしてくれた。
「人は幸せだから喜ぶのではなく、喜ぶから幸せなのだ」哲学者のそんな言葉がリンクする。
必死になった年でもあった。
何度も自分と向き合った。
そこで見えてきた弱さ。臆病さ。
今、自分は何を持っていて、何が足りないのか。
成長したいと心から願った年だった。
この一年は、たくさん泣いたり笑ったりした。
失敗もいっぱいした。
ぶつかって転んで、その度に立ち上がる。
そんなことの繰り返しだった。
だけど、無駄なことは何一つなかったと思っている。
走り抜けてきた。走れる限り走った。
だから、今はとても穏やかな気持ちだ。
これから先の道がどんな風に続いていたとしても、後悔はない。
心にあるのはただ一言。
「感謝」
私は任地のグラズエにいる。
ベナンは常夏なので季節感がなく、クリスマスも年越しも実感がない。
そして人々は12月30日まで出勤し、1月2日から始業する。
だから、私も昨日までは普通にためてしまった仕事を片付けるべく働いていて、年末なのかな~という感じだった。
けれども今日ばかりは、なんとなくあー年が変わるんだなぁという気がしている。
とても穏やかな気持ちだ。
そして、あー大変!年が明ける前に家の大掃除をしておかなくちゃ!とか遅ればせながら思っている。
2011年が往く。
日本では震災があり、個人的にも悲しい出来事のあった年。
けれども、たくさんの人の優しさを感じた年でもあった。
日本にいる人たちのことを思い出す。
遠くにいてもいつも見守ってくれている家族。
離れていても連絡一本で昔に戻れるような古い友人。
たくさんの人に支えられている。
学んだ年でもあった。
ベナンの人たちとは、色々な出来事を一緒に経験することでお互いを知ることができた。
彼らの素敵なところを発見できた。
日常の試行錯誤の中で、教えてもらったことがある。
笑顔にはほとんどの人が笑顔で返してくれるということ。
不機嫌そうな売り子のおばちゃんがパッと笑顔になったその顔を見ると、ああこの人はこんなかわいらしい人だったのかと思う。
心をこわばらせていたのは、自分の方だったと気づく。
そうして接するようになってから、彼らにたくさんの元気をもらうようになった。
ふさぎこんでいる時に、笑顔と冗談は心の雲を晴らしてくれた。
「人は幸せだから喜ぶのではなく、喜ぶから幸せなのだ」哲学者のそんな言葉がリンクする。
必死になった年でもあった。
何度も自分と向き合った。
そこで見えてきた弱さ。臆病さ。
今、自分は何を持っていて、何が足りないのか。
成長したいと心から願った年だった。
この一年は、たくさん泣いたり笑ったりした。
失敗もいっぱいした。
ぶつかって転んで、その度に立ち上がる。
そんなことの繰り返しだった。
だけど、無駄なことは何一つなかったと思っている。
走り抜けてきた。走れる限り走った。
だから、今はとても穏やかな気持ちだ。
これから先の道がどんな風に続いていたとしても、後悔はない。
心にあるのはただ一言。
「感謝」
2012年1月16日月曜日
20 December 2011 初等教育省年間報告会
ベナンの初等教育省に対する年間報告会が行われた。
これは、学校保健にたずさわるベナンの隊員とJICA事務所が教育省に対して報告を行う会議のようなもの。
去年初めて行われて、今年は2回目になる。
各隊員の配属先長も招待された。
ベナンの新聞でも紹介された。
こうして少しづつでもベナンで日本の存在が周知されていくようになればと願う。
個人的には、隊員活動の一例としてプレゼンをさせてもらった。
多くの人の前で何かを発表するのは緊張するし好きではなかったのだけど、今回はどうしても伝えたいなと思ったのでやることにした。
でもやってみると意外と楽しいもので、自分がこうして発信することで人にちょっとでも利益や影響をもたらすことができればこんな喜びはないと思った。
特に発表内で紹介した「身体測定分析結果報告書」に関しては、栄養不良の実態についての質問が出席者より聞かれた。
それに対して自分の配属先の視学官は、真摯に回答してくれた。
これをきっかけに、会場では児童の栄養不良の問題について話し合う時間がもたれた。
これは私にとってとても嬉しいことだった。
任地で行った身体測定や報告書で論じた問題提議が今回の場でより多くの人の耳に届けることができたから。
今後もこういう機会があれば大事にしていきたいなと思う。
個人的に新しい楽しさを感じた報告会だった。
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