2011年11月14日月曜日

13 November 2011 誕生日会@グラズエ

今日は地元のベナンの人たちを招待して、誕生日会をすることにした。
会場は、うちの庭先!
お昼の12時に来てね、と金曜日にみんなには声をかけていた。
みんな来てくれるかなー?
忘れてないかな?
ちょっとドキドキ。

地元のイニャムピレという料理をふるまうのが、こっちのパーティ。
招待する方がすべておごるというのは、どんな小さな食事会でも守られるベナンでのルール。
だから、木曜日に大量のイニャムピレ用のヤム芋とホロホロ鳥を二羽買った。
何人来てくれるかわからないけど、ちょっと多めくらいに。

お昼前にうちの警備員たちと彼らの奥さんが来て、庭先で料理の準備を始めてくれた。
今朝、昨日まで家の裏を歩いていたホロホロ鳥の命が捧げられた。
食のありがたさ、かけがえのなさを感じる。ありがとう。



料理のために羽をむしってくれているうちの警備員。



あまり気持ちの良い光景ではないので思わず身震いしたから、奥さんたちはあまり見慣れないんだねと笑っていた。



ベナン人は時間にゆったりなのに、招待した12時に既に何人か来てくれていてその後も続々と続く。
配属先長も来てくれた。位のある人なのに、なんて良い人!
気が付くとたくさんの人が、料理ができる前に集まってくれていている。
だんだんあせり始めた。
全然、イニャムピレができる様子がない。だいぶ時間がかかりそう!
とりあえず写真をとったり、DVDをつけたり、食前酒を出したり・・あたふた。



ベナンの誕生日会では、招待した主役が感謝のスピーチをして、みんなでお祈りをするらしい。
だから私も日ごろの感謝や来てくれた御礼のスピーチをした。
みんな優しいまなざしで聞いてくれていた。
あと5ヶ月間ベナンを発つまでの時間を大事にみんなとたくさん楽しく一緒に過ごしたいと言うと、拍手と笑顔で答えてくれる。
校長の一人が代表でお祈りをし、みんなそれを目を閉じて相槌をうちながら一緒に祈ってくれた。
うれしくて、じーん。感動してしまった。

そうこうしているうちにやっとイニャムピレができあがって、飲み物を片手にみんなでムシャムシャ!



冗談を言い合ったり、日本やベナンのことを話したり、とても楽しい食事になった。
一緒に働いてきた人たちやよく行くお店の店員さん、彼らと仕事じゃなくて友達として過ごす時間。
みんな明るくとても楽しい人たち。そして、何より温かい。

来てくれた人たちはそれぞれ、帰り際にもう一度たくさんの笑顔と握手と誕生日のお祝いの言葉をくれて帰っていった。「100歳まで元気に生きられますように!」「ご両親もずっと健康で、あなたとともに生きられますように!」そんな風に。

その後、2次会という雰囲気で身内とも呼べる警備員や彼らの家族とイニャムピレを食べた。



なんだか家族の中にいるみたい。
ほっとする。みんな私のことを自分のことのように考えてくれる。
今日の働きだってそうだ。あなたたちがいたから、この会を開くことができたよ。
たくさんのおしゃべりをする。一緒にDVDを見たり。一緒に笑い合えるのがうれしい。
時々怒ったりしてごめんねと私が言うと警備員は、仕事は仕事なんだから大丈夫ですよ!なんであなたのことが好きかというと裏表がないからです、と言ってくれた。ううっ、なんて良い人!ありがとう。。

今日は、職場の人たちや校長たちや警備員やその家族・・たくさんの人たちと普段話さないようなことを話すことができた。特別な機会だったことでベナンの人のいろんな所も見えた。
もちろん食べ物もふるまったけど、来てくれた人はもちろんイニャムピレを食べにきたのではなくて、本当にお祝いをしにきてくれたんだなってことが心から感じられた。
今日、行けないからと手紙や心づけを届けてくれた人もいた。わざわざ行けなくて申し訳ないとC/P(教育指導主事)は首都から電話をくれたりもした。
どうやら、ここではパーティを開いてそれに招待することは、あなたと一緒に何かを祝いたいという友好の気持ちの印だからこそとても大切にされているようだ。だから呼んだ人のほとんどがこうして集まってくれた。
そして、同じものを一緒に食べるということは家族の絆のような意味を持つらしい。
今まで誤解していた部分がたくさんあったんだな、とベナンの人たちの魅力をもっともっと発見することができた。

校長や警備員が今日言ってくれた言葉は、これから忘れずに大切にしていきたい。
「肌の色が違っても、流れている血はみんな同じように赤い。」
「人と人との関係は、鏡のようなもの。だから、こうやってたくさんの良い人たちに囲まれているのはあなた自身がもたらしたものなんだよ。」
「あなたには、人間らしい心がある。」
きっとその言葉たちは、自分の心が弱くなるようなとき、自信がもてなくなったり自分が嫌になってしまうようなとき、助けてくれるだろうと思う。